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「完コピ」の是非。 [耳と、音と。]

こんなブログ記事のリンクが facebook でフィードされてきまして。
「上達しないアマチュアに共通のマインド」  [大槻水澄(MISUMI)ブログ - 声出していこうっ!]
http://misumiotsuki.com/?p=1106

この方は、「ボーカリスト」(声楽家ではなく)と書かれているので、(その他の経歴からも)いわゆる軽音楽系の方だと思われるのですが、音楽大学で非常勤講師もされているという。。。 で、冒頭でこう断言されているわけです。「最短で歌や楽器を上達する方法として、多くのスーパープロが勧めるのは、完全コピー、完コピです。」

これは多分、賛否両論あるでしょうね。案の定、このリンクをシェアされた fb ポストのコメントでも異論はありました。曰く「完コピ主義はオリジナリティを阻害する」 とか。。。

「耳」で聴いた「音」の力を信奉する私自身は、「知らなかった!なんだ、やっぱりそうだったのか。」と思いました。

「軽音楽とクラシック」のエントリーで書いた通り、自分は身の回りのアマチュア・クラシック演奏家の演奏がつまらないと感じていました。(本物に出会うまで) それはなぜかというと、きっと、その頃、クラシックは "譜面に忠実に" 演奏するものだと思っていたからなのだと思います。その後、本物のクラシックと出会うことができ(って多分普通のことだと思うのですが、いかんせん私が育った当時の "楽器の街" には "本物でない" クラシック演奏が多すぎたのだと思います)、クラシックの演奏における譜面の解釈にもものすごい幅があり、それを楽しむのが本来の姿なのだと理解しました。

ところで、クラシックがつまらない、窮屈、と感じた自分は、その後「ロック」などいわゆる軽音楽を「耳コピー」によって演るようになったわけでした。

多分ね(?) 当時のいわゆるクラシックの "教室" って"譜面" ありきで、その曲の "名演" を聴きこむとか、聴き比べるとか、そういうことはなかったのです。実際、最も身近なアマチュア・クラシック演奏家はそんなことしていませんでした。(技術(機材)的あるいはコスト的にとても難しかったということもあるような気はしますが) せいぜい、その曲の演奏で聴いたことがあるのは先生の実演とせいぜい "ある一つ" のレコードに記録された一流演奏家(たち) の演奏だったのではないかと。しかも、それらも繰り返し聴くようなことはなくて、ある程度聴いたらあとは譜面を一生懸命読んで、練習する、と。 少なくとも、私の身近な人たちはそんな感じでした。

それじゃぁダメなんですよ。多分、クラシックにおいても。(そんなのあたりまえかもしれませんが。)

一方、私自身は 軽音楽 を「コピー」して演奏するようになり、その後、大学生になって所属した "サークル" では「オリジナル」がすべてで、他人の「コピー」(マネ)には何の価値もない、という雰囲気でした。でも、私は思いましたよ。「たしかに、すんげーオリジナリティを持ったプレイヤー、例えば Eddie Van Halen とかいるけれど、1980年代においてはほとんどの一流アーティストにもコピーしまくった "アイドル" はいるじゃん。」 と。
Eddie の場合についても、たしかに「軽音楽」の世界の誰かをコピーはしていないのかもしれないけど (いや、クラプトンとかマネしてたみたいだけど) 父親の影響でクラシックを演奏することで得たものと「エレキギター」という楽器をイジリ倒すことで自ら得たものとを融合させた点がオリジナリティなのであって、彼が弾くフレーズとかそのノリとかには "誰かをマネすることで" 身につけたものがあるんじゃないの? と。

。。。いかん、長くなりすぎる予感。。。 ということで、続きはまた今度! ってことにしたいと思います。

ともあれ、この方は、
"名プレイヤーの「型」を細部に至るまで研究し、盗み取ることで、 音に対する彼らの反応や、感覚、マインドまでをも追体験する。 そうして、さまざまなプレイヤーのさまざまな名演をコピーするうちに、 自分自身の音への反応や、感覚が呼び覚まされ、 自分なりの表現へと昇華されていくのです。"


と書かれていますが、この点について、まさにその通りと思います!

ということで、つづく :-)
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